四月定例会振り返り

場所:まなび創生ラボ東日本橋サテライトオフィス 日時:4/2   14:00~17:00


 今回は名誉十代2名、大学一年生1名、高校生4人の計7人のコンパクトな会でした。

テーマは「嘘を日常的につく友人に、それは病気だ(異常だ、普通じゃないという意味)と告げるべきか」でした。哲学対話としては珍しく、具体的なテーマだった分問いから派生すると問いが多いように感じました。全ての対話の内容を書くとまとまりがなくなるので、個人的に面白いと思ったことだけ書いていこうと思います。

 嘘だと自覚しないまま嘘をついている人に対して病気だと言えるか、これは最初の方に出た意見でしたが、嘘とはどういうことかという問いにつながりました。論理的に整合性が取れていないことに対して嘘というのか、それとも世の中の大多数の人が信じていないことが嘘になるのか、二つのポイントが挙げられましたが、整合性が取れていないものに対して嘘だと感じるという流れで対話が進んでいきました。その中、天動説と地動説の例が出た時、どちらも論理的整合性があるのに一方は嘘になる。しかし天動説は誤りであるので、誤りは客観的事実であるが嘘は主観的である、という解釈がされました。私は、昔は地動説の方が誤りであり、嘘だと思われていたので「誤り」の客観性には疑問を持っています。その後、嘘をついている人の中には自覚しないままついている人もいるわけで、この場合その人なりの論理的整合性を理解しないからこそ嘘だと思うのではないか、という意見が出ました。これは、宗教論争を例とすると考えやすいと思います。無宗教の人は宗教を持っている人を嘘つきだとは思わないのは宗教を信じている人なりの論理的整合性を受け入れているからで、主教を持っている人たちの間で紛争が起こるのは互いの考えに論理的整合性を見いだせていないからだと私は考えます。

 もう一つ、認識とは何か、という問いが出ました。自分は19歳であるのに一人で自分は3歳であると言ったならば、それは嘘となるかということが例として出されました。一人で嘘はつけないという意見がある一方で、嘘だと認識していながら自分は3歳児であるとつぶやいているなら、認識の段階に嘘はないと言える、という結論に落ち着いたように思います。

 今回の対話は、嘘とは何か、認識とは何か、この二つの問いが交錯しながら進んでいきました。結局、本題の告げるべきか、というところには行き着かなかったわけですが、充実した対話だったと言えると思いました。最後になりましたが、4月から正式に引き継がれました。2代目ありとぷらを、よろしくお願いします。


国際基督教大学高校一年 笠井美穂


ありとぷら

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